いつのまにか2023年が
何をやっていたのだろうか、と思い出せないほど色々とあった(ような気がする)2023年。
どうでも良いことをやっていたような気もするし(これ大事)、重要なことをやっていたような気もするし、大変だったような気もするし、過ぎちゃえばなんてことなかった気もするし、歳も一つ重ねた気がするし、老化がますます進んでいるような気がするし(これ確実)、思い通りには行かないもんだし、そもそも想像していた2023年ってなんだったのか思い出せないし、新年の誓いは守れていないし(それがなんだったのか思い出せないので誓いなんて立てていないと思う)、日々早起きになってるし、年々仕事が楽しくなるし。
という感じで、ここまで続くとラジバンダリが効かないね。
「重要なことをやっていたような気もするし」の後にラジバンダリ、かな。
さて、仕事で重要なこととは何でしょうか?
私生活でもそうですけれど、本当に重要なことなんて、そうそう無いのですよね。
誰かが死んだ、死にそうだ、がそれに当てはまるでしょうか。
しかし、誰かが死んだとしたら、それに対しては何も出来ることは無いわけで、急いで駆けつけるということも不要な気がしますし、死にそうだ、となれば急いで駆けつける必要があるかと思いきや、死にそうな方は貴方のことを認識が出来ないかと思いますので、対面したところでなーという。
つまり、誰かが、何かが息絶えるということは、生を終えるそのものではなく、その対象によるあなた自身の感じ方次第ということなのでしょう。
僕自身には今年はそういう体験がなかったことが良い一年だったといえるのでしょうか。
何が言いたいかと言うと、大した要件でもないのに、緊急を要するようなメールや電話はやめてくれ、ということですね。
そのメールに返信しなくても、その電話に出れなくても、誰かが死ぬわけではないのであれば、何度も連絡してくれなくて良い。
特にお昼寝中は!!
おいおい、仕事で重要なことはどこいった?
そんなの知らん(これが回答)。
2023年の締め
昼寝なり、呼び出されたり、ラジバンダリ(ラジバダリだったらはまったのに)
来年も再来年もずっとラジバンダリな感じなんだろうなー。
っていうか、今気づいたけれど、最初の「なり」は「し」終わりで間違っているから、「り」終わりでないと、ラジバンダリが成立しないじゃない!
怒り